敵を倒して強くなって悪(=ラスボス)を倒す、というのが一般的なRPGですが、UNDERTALEもdeltaruneもそれに「否!」と突きつけるゲームです。
特徴的なのが裏ルートにおけるノエルのセリフです。
「強くなるのはいいこと…でしょ?」
本当は悪い事ではないか? と疑問を抱きつつ、クリスを通じてプレイヤーに従う自分を無理矢理納得させようとしている事が読み取れます。
ゲーム、漫画、アニメと言った媒体を問わず、多くの物語では主人公側に正義があり、主人公が暴力で相手を屈服させるのは正当化されている場合がほとんどですが、UTやdrでは、たとえ主人公やゲームのプレイヤーであっても、「暴力で相手を屈服させる事」は正当化されず、「悪い事」として描かれており、それを「面白いエンタメ」として成立させてしまうところがTobyさんの凄いところです。
さて、一部で「黒幕」疑惑を持たれているラルセイが裏ルートでは
「本当だったらここで…」というセリフを発する事から通常ルートの存在を知っている事が読み取れます。
もしかしたら本当に、通常ルートでの冒険を仕組んでいるのはラルセイなのかもしれませんが、それはさておき、筆者は「ラルセイの正体はUTのアズリエルではないか」と考えております。
…実はChapter2をプレイしたら少し自信がなくなって来たのですが、この記事では「ラルセイ=UTのアズリエル」という前提で語ります。
UTではフリスクやプレイヤーと和解後、皆の決意の力でバリアを消去し、モンスター達を地下から解放した(≒世界を救った)アズリエル。
drでは本作の良心としてクリスやプレイヤー達をナビゲートしており、裏ルートに分岐できるのも彼が目を離した間だけです。
その間に裏ルートに分岐してしまうと、かつては世界を救ったアズリエル=ラルセイであってももう悪い流れは変えられない、というのがChapter2の恐ろしいところです。
最後に助けを読んでも来ないあたり、スパムトン戦では最早クリス(とプレイヤー)の事をラルセイ(とスージィ)が見放しているようにも解釈できます。
しかし、結末は通常ルートとあまり変わらず、(画面が暗転しているため描写はありませんが)クリスの魂を闇の泉に浸してサイバーワールドを消滅させます。
Tobyさんもインタビューで「deltaruneはどんなプレイをしても結末は同じ」と答えられていますが、良い事をしても、散々酷い事をやらかしても「結末が変わらない」方がむしろ怖いような気がするのですが…💧
UTは(キャラが何をしたかったのかよく分からない事を除けば)非常に分かりやすい「勧善懲悪」あるいは「因果応報」の世界でした。皆に優しくすればそれが自分に返って来て皆ハッピーになるし、中途半端な態度では微妙に後味の悪い結末にしかたどり着けないし、暴力を振るい続ければ最終的に世界は滅ぶし、自分も魂を失ってしまいます。
しかし残念な事に、現実は必ずしも「因果応報」ではありません。被害者が泣き寝入りする一方で、加害者がのうのうと生きている、なんて事はザラにあるでしょう。
もしかしたら「やさしくない世界」であるdrは、「良いことをしても悪い事をしても結末は同じ」にする事で現実の理不尽さを再現しているのかもしれません??
なんだかんだAルートが一番好き
いっちゃん1197さん
コメントありがとうございます&返信が大変遅くなって申し訳ございません。
Aルートは表ルートとのギャップが面白いですよね。